楽しけり

新規が伊野尾沼で右往左往しています

オイオイと泣いてしまえばいいのに。

とにかく、ずーっと胃が痛かったんです。足だの手のひらだの、知っている限りの胃痛に効くツボを押し、手のひらで胃とちょうど真後ろの背中を交互に暖めていましたよ。


ハイハイ、オタクの胃痛自慢はもういいです。何の話かって? ドラマ「母になる」ですよ。このドラマを放送当日の水曜夜に見てしまうと、涙をボロボロこぼして嗚咽、やがておいおい泣き出すみたいな体たらくで翌日に支障が出て仕方ないので、見るのを我慢していた訳です。そうこうしているうちに、なんと5週間も見ていなかったことに気が付きました。その間、「母になる」の内容に関して記述がありそうなブログや雑誌やアレコレは目にしないようにして過ごしていました。が、もう限界だし、週末に少し時間が取れたってんで見始めたら大変だったって話です。

「母」って、生物学的に考えたら誰しもにいるものじゃないですか。だから、「母」に関する話となったら、誰しも当事者にならざるを得ない。ということでまず人ごとではない話です。このドラマを見始めてまずこりゃ参ったと思ったポイントです。で、もし、産みの母と育ての母がいたとしたら、子どもは育ての母こそが母としか思えないと思うんです。血が繋がっていたら血が呼び合う? 実感としてそんなのはまあウソだなぁと。そうじゃなくて、身体や脳みそに刻みこまれた記憶が、この人が親だと認識してしまいますよ。

なのに、このドラマでは、産みの母が正義なんです、今のところ。だって、何の非もない。そして、法律上も正しく産みの母が母なんです。そうして、全てが進んでいってしまう。

ツラい。広が「ツラい。施設に戻りたい」と言ったのが、良く分かる。それも、やけに慌ただしく、広は産みの母と暮らし始めているので気持ちなんかついていく筈がない。でも、それを言われた産みの母の気持ちは。理性的に判断して、やっと手放したつもりだったのに、それを知った育ての母の気持ちは。

いつまで経っても、広の部屋の棚には何にも置かれていないんです。机の上には、教科書や辞書やらあるけれど。壁際の棚には何一つない。家族の前で笑顔を見せても。いつだってカバン一つで何処へでも行けそうに暮らしている。

そうやってハラハラしながら、話の先を見ていったら、なんと裕翔くんとミッチーと藤木直人さんが、「チュー太の大冒険」を踊りだしましたよ!そう、やっとここで、裕翔くん、って思ったよね。ずっと、ただただ木野さん過ぎて。大冒険を踊った時に、「いつもの裕翔くんだったら、もっとニッコニコでキレッキレに踊るんだよなぁ、役柄だと違うなぁ」とまで考えて、そうだった、木野さんは裕翔くんだった…ってなりました。ドラマに入り込み過ぎてますね。

もうね、麻子にも結衣にも共感する部分と、そこは違うだろう!っていう部分の両方があって苦しいし、はっきり言ってこのドラマツラいです。でも、先が気になる。だから、この週末にもダメだ!土曜までにしておけ!と思ったけども日曜の夜とうとう最新話まで見てしまって、月曜に影響出ました 笑。仕事中も「母とは」って考えちゃうし、もーこのドラマ困ります!笑。視聴率がどうも振るわないとしたら、それもあるかも。平日の夜に見たら翌日に影響出て大変なんで、録画で週末に見ます層。いそう。視聴率って調査世帯の方がリアルタイムで見ないとカウントされないみたいなので。さぁ、今週どうしよう。翌日に影響が出る覚悟でリアタイするか。(しかも伊野尾担、翌日は「めざまし」なんですよ) 我慢して週末まで持ち越すか。でも、広の彼女問題はどうなるのかも気になります。共通の問題で共感する二人の母っていう展開にもなりそうだし。そうそう、広くんには、一度結衣のことを無理にお母さんと思わなくていい、「血の繋がった、自分をとても可愛がってくれる人」くらいの納得の仕方をして、そこから始めたらいいのに、周りの大人もそれを彼に許してあげて欲しいのにと考えるんですよ。あと結衣も産みの母であると共に、もうすぐ4歳というところまで育てた母でもある訳で。寝付く時にはいつも結衣の耳を触ってそうして安心して寝た話など育てていたからならではの話を、あくまでサラっと広に話してあげて欲しいものです。とまで考えて、これドラマなんですけど!!ちゃんと現実見て!!とまたも入り込み過ぎている自分にビックリです。はぁー大変なドラマだこれ。裕翔くんが出てるから、って軽い気持ちで見始めたのになぁ。皆さんも見てオイオイ泣いてしまえばいいのに。